山口恭一の人生を変える就活

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人脈はどこで生きてくる?

プラス発想の人脈を生かせ

仕事で成長するコツは、年長者に可愛がられることと、無心に上手な人の真似をすることだと言いましたね。それからもうひとつ、プラス志向の発想ができることが大事です。
プラス発想の人というのは、単に性格が明るいってわけじゃありません。明るい暗いではなく、考え方のベクトルがどっちを向いてるかという問題です。例えば実現の難しいプランが持ち上がったとき、あるいは解決困難なトラブルが発生したとき、「どうすればできるか」「どうやったらよくなるか」と何度も何度も考えるのがプラス発想。つまりプラス発想というのは、「ノー」を「イエス」にする方法を考え出すってことなんです。
固定観念と常識にとらわれた普通の人は、何か新しいアイデアを提示されたとき、「そんなの無理だ」「できるわけない」「ちょっと難しい」と考える。実を言うと会社の中には、こうしたマイナス発想というか、現状維持派のほうが断然多いんです。だからプラス発想の人は、こういう現状維持派の「ノー」を押さえ込むだけのパワーを持ってなくちゃいけない。
ここからは私の想像ですが、例えば宅配便の時間指定配達——いまでは当たり前になっているこのサービスも、最初に社内でアイデアが出たときは、かなり大勢の人が反対したと思いますよ。「そんなの無理だ、コストも手間もかかりすぎる」と否定しにかかったはずです。そこを引っくり返したプラス発想の持ち主が、おそらく何人かいたんじゃないでしょうかね。
私自身、プラス発想に救われたことがあります。20歳でレジャー会員権販売会社の営業を始めたとき、最初の2カ月半は歩いても歩いてもまったく売れずに、それはつらい思いをしたもんです。しかし、ひとつだけ心に決めていたことがありました。それは、売れない営業マンとは付き合わない、ということ。
そのときはまだ入社数カ月でしたが、社内の力関係を怖いくらいハッキリと見て取ることができたんです。オフィスはまるで、営業マン人生の縮図のようでした。売れてる人はお客様にもまわりにも喜んでもらえて、自分の時間も自由にコントロールし、収入も多くもらえて、とてもハッピーに仕事している。それに対し、売れない人は悲惨です。毎日遅くまで会社にいても全然結果が出ない。勤務時間は長いのに休みも収入も少なく、上司には怒られ、まわりからは嫌味を言われ、家族には心配をかけている。
それを見て私は、単純に思ったわけです——売れない営業マンには絶対なりたくない! と。だから自分自身がどんなに売れなくたって、売れてる営業マン=仕事上手な人の話をつねに聞くようにしていました。仕事上手な人というのは、考え方がプラス発想なんですね。だから話をしたあとはいつも前向きになれたし、モチベーションを高く保つことができた。プラス発想の人脈のおかげで、先が見えないあの時期を乗り切れたようなもんです。
現在でも、折に触れて考えますよ。もしあのとき、売れない人たちと仲よくなって互いの傷を舐め合うような付き合いをしていたら、いまの私はなかった。きっとつぶれていたでしょう。人生は紙一重……そう思うと、ちょっと怖い話です。
キャリアという言葉は大変華やかに響きますが、単に長く勤めていることや成功体験のみがキャリアじゃありません。自分自身やほかの人の失敗を見て、同じようなたぐいの失敗をしないために改善してきた結果が、本物のキャリアです。
言い換えれば、歴史つまり過去から学んで分析し、それを未来に生かすべく積み重ねていくこと、それがキャリアなんです。私自身、数々の失敗を生かしてきた結果、いまがあるわけです。
そんなキャリアを築くには、場面場面でキーパーソンが必要になるでしょう。
たくさんの年長者とお付き合いして、キーパーソンとのよい人脈を作っておけば、失敗を繰り返さないためのアドバイスもいただけるし、失敗を生かして積み重ねていける——つまり、マイナスをプラスにすることができるんです。
そのためにも、マイナス発想のネガティブ人間と付き合わないこと。仕事上手の年長者や、会えば元気になれる前向きな人を中心とした、プラス発想の人脈を大切に育てていってください。

すべて人に教わって現在がある

それではここから、私自身の話をしていきましょう。私がどんなふうに年長者との人脈を作り、それをキープしてきたか。皆さんにも何か真似できるところがあるかもしれません。
私の場合、浪人生活に見切りをつけた8歳のころから現在に至るまで、どんなことも人に聞いて聞いて聞きまくってきました。自分で言うのも何ですが、とても聞き上手だったんですね。もともと性格が素直な上に好奇心旺盛でしたから。それに何事に対しても一生懸命だったんで、面倒見てやろう、目をかけてやろう と思ってくださる方も多かった。
まず経営者になることを決意したのは、福島の先輩に話を聞きに行ったとき、「仕事には5つの進路がある」という言葉を聞いたのがきっかけでした。その後、経営者には営業型と技術型があると教えてくれたのも、「商品でなく自分を売り込む営業をやりなさい」とアドバイスしてくれたのも、すべて人生の先輩——年長者の方々だったんです。
会社に入ってからは、売れなくて悩んでいたとき、上司に話を聞きに行って目標の持ち方を教わりました。仕事上手な先輩営業マンには、「どうしたら売れるようになるんですか?」と食い下がって、勤務時間外の時間の使い方を教わりました。初めて部下ができたときは、壁にぶつかってしまい戸惑いましたが、これも上司にすぐ相談して的確な助言をもらうことができました。
そして独立を決めてからも、銀行からのお金の借り方や会社の登記のしかた、契約書の書き方など、とにかくすべて人に聞いて教えてもらいました。そうそう、「汚れる仕事はすたれない」と言ってクリーンビジネスを勧められたのも、喫茶店を営む先輩経営者に話を聞きに行ったときでしたよ。

私の転機——人脈生かしてアメリカへ

うちの会社がいまの形になるまでには、いくつかの転機がありました。一番大きな転機は、アメリカ発のクリーンビジネスを導入したときです。これに先立って私はアメリカへ視察研修に行ったんですが、その際にも、年長者の人脈に大変。助けられました。
では、そのときの話をしましょう。
25歳で独立した私は、店舗の大掃除代行業「山口商会」を始め、3年後には「株式会社 トータルサービス」に改組。このときから、本業に加えて掃除用機材の販売もおこない、その機材を使って同じように店舗の出張クリーニングをする代理店を募集し始めました。現在のフランチャイズ事業の基礎を作ったわけです。そして「汚れる商売はすたれない」という先輩の言葉どおり、業績は順調に伸びていきました。
ちょうどそのころ日本はバブル前で経済は低調でしたが、アメリカのハイテクブームやベンチャーブームを背景に、第二次ベンチャーブームを迎えていました。私もベンチャー起業家のひとりとして、ずいぶんマスコミに取り上げらてもらったもんです。会社がテレビで紹介されたときなんか、代理店の加盟希望者が列をなして待ってたこともありましたね。
だけど何よりよかったのは、このベンチャーブームのおかげで、上場企業の新規事業開発担当者とか、ベンチャーの雄と呼ばれるような会社の社長とか、異業種の方々との交流がたくさん生まれたことです。私の交友範囲は飛躍的に拡大し、著名経営者の間にすばらしい人脈ができました。
そんな交流の中で、多くの人が異口同音に主張することがありました。
「日本で大きくなっているビジネスは、すべて欧米から入ってきたものです。これからのビジネスのヒントはアメリカにあるんですよ」
「山口さんはアメリカへ行かれたことがありますか? まだだったら、ぜひ一度行って見ておくべきです」
などなど、会う人会う人みんなアメリカ行きを勧める。でも、最初私は渋ったんです。だって英語ができないから。しかし、経営者として今後ずっと会社と社員を担っていく以上、そんなこと言ってられません。
というわけで、渡米することを決めたんです。これに関しても、転送電話会社を営む先輩経営者の助言を受けて、その方のアメリカの会社でリサーチしてもらいました。伸び盛りのアメリカのクリーンビジネスやベンチャー企業なんかを、片っ端から調べてもらったんです。インターネットなんかない時代ですからね、これは助かりましたよ。
その結果、向こうのビジネスにがぜん興味を持った私は、現地のエージェントや通訳を紹介してもらいました。アポイントを取るのも、移動や宿泊の手配をするのも、もちろんエージェントにやってもらい、一路アメリカへ。飛行機の座席はファーストクラス。最初はエコノミークラスで行こうと思ってたんですが、「サービス業をやるんだったら、最高のサービスを一度は経験しておかなくちゃいけないよ」という年長者のアドバイスに従ったんです。一度経験しておくのは、決して贅沢ではない。研究開発費——つまり投資なんだと教わりました。ホテルも一流のところに泊まりなさいと言われましたね。
アメリカでは、そりゃものすごいカルチャーショックを受けました。それまでの私は、会社経営をしながら日々あらゆることに問題意識を持っていましたし、その都度集中してさまざまなテーマを考える習慣がしみついてたんです。そんな状態で初めてのアメリカへ行ったもんだから、もう何を見ても何を聞いても、怒涛のような衝撃がダイレクトに流れ込んでくる。頭の中がはち切れそうになりましたよ。幕末の志士たちが初めて外国へ留学したときと同じくらいのインパクトだったでしょうね。
このときは10日間でロサンゼルス、ニューヨーク、オーランド、ピッツバーグ、クリーブランドを回りました。短期間で全米大陸を横断してまた戻るという強行軍でしたが、得られたものは非常に大きかった。ひとりひとりの役割分担が明確なアメリカ企業のシステムも感じられたし、日本で10年後20年後の需要が見込めそうなビジネスにも出会えたんです。何より、「自立イコール仕事の目標を持つこと。自立なくして自由はない」というアメリカの気風がバンバン伝わってきて、よい刺激を受けました。
「よーし、アメリカからビジネスを持ってくるぞ!」
ここで私は目標の照準を「アメリカで実績があるクリーンビジネスを日本に導入し、国内での先駆者になる」と定めたわけです。
そこで数カ月後に再渡米し、目星をつけておいたクリーブランドのスパークル・インターナショナル社を訪ねました。この会社が開発したビル外壁のメンテナンス技術「スパークル・ウォッシュ」には、作業効率のよさや自然環境に配慮した工法など、日本でもヒットしそうな多くの魅力があります。そこで、「スパークル・ウォッシュ」のフランチャイズに加盟するライセンス契約を結んだんです。
この契約時にも、先輩経営者のみなさんからいろいろアドバイスを受けました。何せアメリカ企業との契約なんて初めてですから、交渉のポイントや心がまえをしっかり伝授してもらいました。100万ドル(当時のレートで約1億5千万円)というライセンス料を交渉により半額にしてもらったのも、先輩方のアドバイスがあったからこそと思ってます。また、交渉事でトラブルになったときのためにと弁護士を紹介してくれたのも、やはり先輩方でした。
こうしてみると、うちの会社がいまあるのは、何もかも年長者の温かい助言のおかげかもしれません。自分で起業するということも含めて、周囲の先輩方から的確なアドバイスをその都度いただき、いろいろと助けていただきました。私は多くの年長者から、経営者として必要なすべてのことを学んだ——そんなふうに考えています。
こういった年長者の方々の人脈は、いまでも私にとって、かけがえのない財産のひとつとなっているのです。皆さんもぜひ若いうちから、自分の財産となるような人脈を作っていってください。

社長が教える☆就活のガッツ

  • その19 同級生とばかり群れないで年上とお付き合いしよう。
  • その20 他人のよいところをおおいにパクろう。
  • その21 何でも聞きに行く素直な人間が年上に可愛がられる。
  • その22 “年長者人脈の輪”を増やし、それをキープしよう。
  • その23 年長者へのお礼状と盆暮れ年頭の挨拶を忘れるな。
  • その24 プラス発想の人脈を大切に育てていこう。